自分のことを、家族にすら正しく話せていない部分がある。嘘をついているわけではない。ただ、話せば相手を戸惑わせると分かっているから、都合のいいところだけを見せて過ごしてきた。
厄介なのは、隠している時間が長くなるほど、それが自分の一部だったことさえ忘れそうになることだ。誰かと本当に近づくたび、どこまで見せていいのか分からなくなる。信頼している相手にほど、言えないことが増えていく。
高山真の『エゴイスト』を聴くと、隠し続けてきた自分を誰かに預けるということの意味が分かってくる。母を早くに亡くし、同性愛者である自分を押し殺して生きてきた浩輔は、ある男性と出会い、その家族とも呼べる関係の中に居場所を見つけていく。血のつながりのない相手を家族と呼べるようになるまでの距離が、静かに描かれる。
5時間41分。今夜は、浩輔が自分の生い立ちを振り返る最初の章だけでいい。
どんな話か
14歳で母を亡くした浩輔は、同性愛者である自分を押し殺したまま思春期を過ごし、東京で働いている。ある日、癌を患う母と暮らすトレーナーの龍太と出会い、二人は少しずつ距離を縮めていく。やがて浩輔は、龍太の母とも深く関わるようになり、血のつながりを超えた居場所を得ていく。その先に待っている出来事は、ここには書かない。
声で聴くとどう変わるか
ナレーターは林祐人。誰にも本音を明かせずにきた浩輔の一人称が、抑えた声のトーンで語られることで、言葉にしていない部分の重みがそのまま伝わってくる。文字で読むと淡々とした地の文に見える箇所が、声になると、感情を出さないように整えた呼吸として耳に残る。龍太やその母と話すときにだけ声がわずかに緩む変化が、浩輔にとっての安全な場所がどこかを教えてくれる。
5時間41分。通勤の往復なら4日、週末にまとめて聴くなら半日で聴き終えられる長さだ。章立てが短く区切られているので、就寝前に少しずつ進めても迷いにくい。原作は映画化もされているが、浩輔の内側の声を追える分、耳で聴く体験には原作ならではの重みがある。
「母」と呼ぶまでの場面
手が止まったのは、浩輔がいつの間にか龍太の母を「母」と呼ぶようになっている場面だった。いつからそう呼び始めたのか、本人も明確には説明していない。呼び方が変わったことに気づいた瞬間、浩輔にとってその関係がすでに家族になっていたことが分かる。
隠してきた自分を誰にも見せずに生きてきた浩輔が、龍太たちの前でだけ肩の力を抜いている描写も印象に残る。誰かに本当の自分を見せられる場所があるというだけで、日々の重さが変わる。その変化を、声の張りの違いだけで丁寧に伝えてくる。
いま聴くなら『エゴイスト』から。浩輔が生い立ちを振り返る最初の章だけでも、この物語の温度は伝わってくる。
こんな人に向いている
- 家族にも見せていない自分の一部を、抱えたまま生きている
- 血のつながりだけが家族の条件ではないと思いたい
- 誰かに本当の自分を見せられる場所の大切さを、改めて考えたい
- 静かな筆致で、深いところまで踏み込む小説が好き
向いていないのは、明るい結末をあらかじめ求める人。この作品は浩輔が抱えてきたものの重さを丁寧に描く分、聴き終えたあとにすぐには言葉にできない余韻が残る。
近い気分の一冊
誰にも見せていない自分を抱えたまま、演じ続けてきたという意味では、汐見夏衛の『夜が明けたら、いちばんに君に会いにいく』も近い。あちらは優等生を演じ続けてきた高校生が、隣の席の相手にだけ素の自分を見せられるようになる話で、こちらは同性愛者である自分を隠してきた男性が、血のつながりのない相手の前でだけ本当の自分でいられるようになる話だ。年齢も舞台も違うが、誰かの前でだけ仮面を外せるようになる過程は重なる。『夜が明けたら、いちばんに君に会いにいく』オーディブル感想
今夜から聴くには
作品ページを開いたときに何が見えるかを確かめてほしい。「聴き放題で聴く」と出ていればその場で再生できる。対象は入れ替わるので、購入の前に表示だけを見てほしい。『エゴイスト』のページを開く
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今夜は、自分を隠さずにいられる相手が誰なのか、少しだけ思い浮かべながら再生してほしい。

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