二人で過ごした時間を、自分だけが覚えている。相手にはその記憶がない。責められる話ではないのに、覚えている側だけが取り残されたような気持ちになる。
この孤独は名前がつけにくい。失恋でも死別でもない。相手は目の前にいて、生きていて、なのに二人で積み重ねたものを共有できない。「もう一度仲良くなればいい」と言われても、同じ相手ともう一度好きになってもらえるのかという不安までは、誰も分かってくれない。
伴田音の『君が失くした「恋」の相手』は、この不安の内側にとどまり続ける小説だ。同棲していた恋人のあゆみが、事故か事件かも分からないまま記憶を失い、恋人の純のことさえ分からなくなってしまう。純は二人で行った場所を辿り直しながら、あゆみの記憶を取り戻そうとする。聴き終えても、覚えている側の孤独が簡単に晴れるわけではない。
再生時間は7時間7分。今夜必要なのは、あゆみが純のことを分からないと気づく最初の場面だけでいい。そこから先、純が何をするかが分かる。
どんな話か
同棲していた恋人・あゆみが記憶喪失になる。事故なのか事件なのか、あゆみ自身も何が起きたのか覚えていない。恋人の純のことさえ思い出せない彼女に対して、純は二人で訪れた場所を巡り、記憶を取り戻す手がかりを探し始める。
声で聴くとどう変わるか
語りは岸本愛。純の一人称は、あゆみに気づかれないよう平静を装う場面と、一人になったときの動揺とで、声のトーンがはっきり分かれる。文字で読むと同じ地の文に見える部分が、耳で聴くと二つの顔の切り替わりとして届く。
あゆみとの再会を重ねる場面は、慎重な間の取り方で読まれる。彼女を怖がらせないように言葉を選ぶ純の緊張が、声のわずかな硬さとして伝わってくる。純だけが二人の過去を知っているという非対称な関係が、朗読の温度差でそのまま表現されている。
7時間7分。通勤の往復で3日ほどのペースで聴き終えられる。ミステリーの要素もある作品なので、区切りながらでも先が気になる構成になっている。一話ごとに小さな引っかかりが残るので、次の一区切りまで自然に手が伸びる。
どの場面で引き込まれたか
手が止まったのは、純があゆみを昔と同じ場所に連れて行っても、彼女がただの観光地としてしか見ていないと気づく場面だ。同じ景色を見ているのに、共有しているものがまったく違う。この落差の描き方に容赦がない。
この小説がうまいのは、記憶を取り戻すことをゴールにしなかったところだ。純が本当に問われているのは、記憶がなくても、同じ相手をもう一度好きになれるのかという問いだ。そこに、あゆみの記憶喪失の原因という、もう一つの謎が重なってくる。
いま聴くなら『君が失くした「恋」の相手』から。あゆみが純を分からないと気づく場面までで、この物語の始まり方が分かる。
こんな人に向いている
- 大切な記憶を、自分だけが抱えている感覚がある
- 恋愛小説にミステリーの緊張感も欲しい
- 通勤の往復で3日ほどのペースで聴き切りたい
向いていないのは、素直な感動だけを求める人。この作品は最後にどんでん返しが用意されており、単純な感動の物語としては閉じない。
近い気分の一冊
誰とも共有できない感覚を扱った話なら、川上未映子の『すべて真夜中の恋人たち』も近い。あちらは誰とも話していない孤独を、こちらは相手はいるのに記憶を共有できない孤独を描く。孤独の形は違っても、名前のつけにくいこの感覚に静かに向き合っている点は同じだ。『すべて真夜中の恋人たち』オーディブル感想
今夜の気分がまだ定まらないなら、オーディブルで聴ける恋愛小説おすすめ6選 から入ってほしい。気分から逆に引ける形で並べてある。
今夜から聴くには
作品ページを開くと、いま聴き放題の対象なら「聴き放題で聴く」と表示される。その場合は追加の支払いなしでそのまま再生できる。対象は入れ替わるので、表示だけ見てほしい。『君が失くした「恋」の相手』のページを開く
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今夜はあゆみが純を分からないと気づく場面まででいい。そこから先、純がどこまで歩み寄れるかを聴くことになる。

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