『悟くんをよろしく』オーディブル感想|もしもを考えてしまう夜に

幸せなはずの毎日に、ふと「もしも自分がいなくなったら」と考えてしまう夜

好きな人と暮らしている。大きな不満はない。むしろ、今がいちばん穏やかだと思える。それなのに、寝る前の暗い部屋で、ふと「もしも自分が急にいなくなったら」と考えてしまう夜がある。

厄介なのは、この考えには理由がないことだ。体調が悪いわけでも、何かが起きたわけでもない。だから誰にも言えない。口にすれば「縁起でもない」で終わってしまう。幸せだからこそ浮かぶ不安には、名前がない。名前がないから、片付ける方法も分からない。

貝沢弘子の『悟くんをよろしく』は、その「もしも」を真正面から物語にした作品だ。聴き終えても、不安そのものが消えるわけではない。ただ、もしもを考える時間を、怖がるだけの時間で終わらせなくていいと思える。いま隣にいる人に、何を残しておきたいかを考える時間に変わる。

再生時間は2時間47分。就寝前に1時間ずつなら3晩で終わる。今夜必要なのは、最初の30分だけだ。

目次

どんな話か

ツアー会社に勤めるハナは、中止になったロンドンツアーの客だった悟と恋に落ち、ほどなく結婚する。ハナには、人の死を「正夢」で前もって知ってしまう不思議な力があった。幸せの只中にいたある夜、ハナが見たのは自分自身が死ぬ夢だった。

声で聴くとどう変わるか

朗読は佐藤こまき。ひとりの声で、ハナも悟も、二人を取り巻く家族も語り分けていく。地の文は抑えめで、台詞に入ると人物の温度が上がる。その切り替えがあるから、誰が話しているのかで迷うことがない。

この物語の登場人物は、それぞれが事情を抱えている。文字で読むと、その事情は説明として流れていきやすい。声で聴くと、説明の言葉より、事情を口にするときの声の重さのほうが先に届く。とくに親が子を思う場面は、台詞の一言目で空気が変わる。家族の情が、恋と同じくらいの大きさで物語を支えていると分かる。

2時間47分は、通勤の往復なら2日ほど。家事をしながらでも筋は追える。ただ、ハナが正夢を見る夜からは、手を止めて聴いたほうがいい。そこから物語の速度が変わる。

ハナが自分の死の夢を見る夜に、手が止まった

聴き手として手が止まったのは、ハナが自分の死を夢で見てしまう場面だった。それまでの彼女の正夢は、いつも他人の死だった。知りたくないことを先に知ってしまう力を、ハナはずっと一人で抱えてきた。その力が、いちばん幸せな時期に、自分自身に向く。

夢が本当になるのかどうかは、ここには書かない。ただ、ハナがその夜を境に、怯えるだけでなく、残される人たちのことを考え始めるところに引き込まれた。死を覚悟するというのは、諦めることとは違う。誰かのために何ができるかを考え始めることでもある。その切り替わりが、静かに、しかしはっきり描かれている。

いま聴くなら『悟くんをよろしく』から。ロンドンツアーが中止になるくだりで、二人の出会いの温度が分かる。

大切な人を「残す側」のことを考えてしまう人に向いている

  • 幸せなときほど、それが続かない場合を想像してしまう
  • 恋人や夫婦の話だけでなく、親子の情も一緒に聴きたい
  • 重すぎる長編の前に、3時間ほどで聴き終えられる一本を探している

向いていないのは、緻密な設定や意外な仕掛けを楽しみたい人。物語の運びは素直で、先の展開がある程度読めるところもある。この作品の良さは筋の新しさではなく、登場人物がそれぞれ前を向いていく姿の温かさにある。

その素直さがあるから、もしもを考えてしまう夜に聴いても、気持ちが沈みきらない。重い題材を扱いながら、聴き終えたあとに残るのは怖さより、隣にいる人への感謝のほうだ。

近い気分の一冊

家族の中にある恋を短く聴くなら、坂井希久子の『祖父の恋』も近い。あちらは80歳の祖父の恋を、孫の側から少し可笑しく見つめる1時間ほどの短編だ。こちらは恋の当事者が、家族を残す側に立つ。笑いと涙で温度は違っても、どちらも家族の情を軸に恋を描いている。『祖父の恋』オーディブル感想

今夜から聴くには

作品ページを開いて「聴き放題で聴く」と出ていれば、追加の支払いなしでその場で再生できる。対象は入れ替わるので、開いたときの表示だけ見てほしい。『悟くんをよろしく』のページを開く

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今夜は、隣で眠る人や遠くにいる家族の顔を思い浮かべながら、二人が出会うところまで再生してみてほしい。

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