実家に帰ると、親や祖父母は昔と同じ顔で迎えてくれる。同じ席に座り、同じ話をする。だから、自分が家を出てからの何年かを、あの人たちがどう過ごしてきたのかを考えることはあまりない。
厄介なのは、家族ほど「もう知っている」と思い込んでいる相手はいないことだ。知っているつもりだから、改めて聞かない。聞かないから、知らないままになる。家族にも、家族の外の時間がある。頭では分かっていても、それを確かめる理由がないまま年月だけが過ぎる。
坂井希久子の『祖父の恋』は、その思い込みが、80歳の祖父の小さな噂ひとつで揺らぐ話だ。聴き終えても、家族との関係が劇的に変わるわけではない。ただ、次に実家に帰ったとき、祖父母や親の顔を少しだけ違う目で見るようになる。
再生時間は1時間12分。夕食の片付けと入浴を済ませるあいだに、最後まで聴き終えられる長さだ。今夜始めれば、今夜のうちに閉じられる。
どんな話か
80歳の祖父・茂が、カラオケで誰かとデュエットしていたらしい。噂を聞いた母に真相を確かめるよう命じられ、仕事が充実している孫の若菜は渋々実家へ戻る。妙に身なりが小綺麗になった祖父に、若菜は「恋人でもできたんじゃない?」と問いかける。
声で聴くとどう変わるか
朗読は斉藤範子。若菜の目線で進む物語を、軽やかに運んでいく。母、孫、祖父の三世代がそれぞれの調子で話すので、目で読むと地の文に埋もれがちな家族の温度差が、声の違いとして先に届く。母の前のめりな勢いと、孫の渋々とした返事と、祖父のとぼけた間合い。その噛み合わなさが、そのまま可笑しさになっている。
文字で読むと、この話は数十分で読み終えてしまう。声で聴くと、会話の合間にある一拍の沈黙が残る。祖父が何かを言いよどむ間、孫が次の言葉を探す間。家族の会話は、言葉より間のほうが多くを語ることがある。この短編は、その間を聴かせる作品だ。
1時間12分は、通勤の往復なら1日で終わる。就寝前に聴くなら、2晩に分けてもいい。噂の真偽が気になったまま止めれば、翌晩に続きを再生する理由が自然に残る。
祖父に問いかける場面で、手が止まった
聴き手として手が止まったのは、若菜が祖父に向かって、恋人ができたのかと尋ねる場面だった。軽い冗談のつもりで口にした言葉が、口に出した瞬間に冗談ではなくなる。80歳の祖父にも、孫の知らない誰かとの時間があるかもしれない。その可能性を、若菜は自分の問いで初めて現実のものにしてしまう。
噂が本当なのか、相手が誰なのかは、ここには書かない。ただ、問いかけた側が答えを聞く前から少し身構えてしまう感じは、家族に何かを確かめたことのある人なら覚えがあるはずだ。
いま聴くなら『祖父の恋』から。若菜が実家に着くところまでで、この家族の空気がつかめる。
家族を「もう知っている」と思っている人に向いている
- 親や祖父母の若い頃の話を、ちゃんと聞いたことがない
- 重い家族小説より、ほんわかした温度の話を聴きたい
- 長編に手を出す前に、まず1時間ほどで聴き終えられる一本を試したい
向いていないのは、胸が締めつけられるような恋愛小説を求める人。この作品の恋は、孫の目を通して少し離れた場所から描かれる。燃え上がる感情よりも、それを見守る家族のおかしみと温かさのほうに重心がある。恋の当事者の心の揺れを聴きたい夜には、物足りなく感じるはずだ。
近い気分の一冊
歳を重ねた人の心が動く話なら、桜木紫乃の『情熱』も近い。あちらは70代の男女や40年ぶりの再会を、本人たちの側から静かに描く短編集だ。こちらは同じような恋を、孫の側から少し可笑しく見つめる。内側から聴くか、外側から聴くかで並べられる。『情熱』オーディブル感想
もう少し長めに、家族の情と恋を一緒に聴くなら、貝沢弘子の『悟くんをよろしく』もある。2時間47分。こちらは恋の当事者が、家族を残す側に立たされる話だ。『悟くんをよろしく』オーディブル感想
今夜、祖父の噂を確かめに行くには
作品ページを開いて「聴き放題で聴く」と出ていれば、追加の支払いなしでその場で再生できる。対象は入れ替わるので、開いたときの表示だけ見てほしい。『祖父の恋』のページを開く
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今夜は、しばらく顔を見ていない家族をひとり思い浮かべながら、再生してみてほしい。

コメント
コメント一覧 (1件)
[…] 家族の中にある恋を短く聴くなら、坂井希久子の『祖父の恋』も近い。あちらは80歳の祖父の恋を、孫の側から少し可笑しく見つめる1時間ほどの短編だ。こちらは恋の当事者が、家族を残す側に立つ。笑いと涙で温度は違っても、どちらも家族の情を軸に恋を描いている。『祖父の恋』オーディブル感想 […]