大切な人を失ったあと、もしもう一度だけ会えるなら、自分の何かを差し出してもいいと思ったことがある。それが時間でも、若さでも構わない。取り戻せるなら差し出す、という考えが頭から離れない夜がある。
この願いは誰にも話せない。話せば心配されるか、非現実的だと笑われるかのどちらかだ。だから一人で抱えたまま、代わりに何を差し出せば釣り合うのかを、答えの出ない計算のように繰り返してしまう。
八目迷の『夏へのトンネル、さよならの出口』は、その計算を実際にやってのける少年の話だ。妹を事故で亡くした少年が、望むものと引き換えに歳を取るという都市伝説のトンネルを見つける。聴き終えても、失ったものが戻るわけではない。ただ、何かと引き換えにする覚悟の重さを、この作品は正確に教えてくれる。何を差し出しても釣り合わないものがあると分かったうえで、それでも一歩を踏み出す話だ。
再生時間は8時間36分。今夜必要なのは、少年がトンネルを見つける最初の場面だけでいい。
どんな話か
幼い妹を事故で亡くした少年・薫は、「望むものと引き換えに歳を取る」という都市伝説「浦島トンネル」を見つける。妹を取り戻すため、同級生のあんずと共にトンネルの検証を始める。あんずにも、そこでしか叶えられない願いがあった。
声で聴くとどう変わるか
フルキャストで演じられており、薫とあんず、それぞれの声がはっきり分かれて聴こえる。二人が交わす会話の温度差、薫の重さとあんずの軽やかさの対比が、文字で追うよりもはっきり感じられる。同じ目的でトンネルに関わりながら、二人の動機が違うことが声の演技だけで伝わってくる。
8時間36分、フルキャストの音声劇として作られているため、ラジオドラマに近い聴き心地になる。通勤の行き帰りで区切って聴いても、声の演じ分けのおかげで場面を見失いにくい。
覚悟が変わっていく場面
手が止まったのは、あんずがトンネルに入ることの意味を薫より先に理解している場面だった。彼女は自分が何を差し出しているか、薫よりずっと冷静に把握している。その落差に、薫が気づいていく過程がこの作品の軸になっている。
妹を取り戻したいという願いそのものより、その願いのために薫が何を見落としていたかに焦点が移っていく構成になっている。聴き終えたとき、自分が何かを取り戻すために差し出そうとしているものの正体を、もう一度数え直したくなる。
いま聴くなら『夏へのトンネル、さよならの出口』から。トンネルを見つける場面まで聴けば、この物語の始まり方が分かる。
こんな人に向いている
- 大切な人を失った経験があり、もう一度会えるならと考えたことがある
- フルキャストで演じられる音声劇のような聴き心地が好き
- 青春ものとSF設定が組み合わさった話に惹かれる
向いていないのは、恋愛の比重が大きい話を求めている人。この作品の軸は妹を失った喪失と、その代償への向き合い方にある。恋愛はその過程の中で育っていくもので、最初から前面には出てこない。
フルキャストの音声劇なので、登場人物が多い場面でも聴き分けに迷わない。夏の光と影がはっきり分かれた小学館の青春SF小説を、声の演技つきでまるごと体験できる一冊だ。
近い気分の一冊
血のつながりを超えた家族というテーマで続けるなら、瀬尾まいこの『そして、バトンは渡された』へ。あちらは血のつながらない親たちに育てられた側の話で、こちらは血のつながった妹を失った側の話だ。失うことと、育てられることを、両方から見る形になる。『そして、バトンは渡された』オーディブル感想
同じガガガ文庫の夏の話なら、赤城大空の『二度めの夏、二度と会えない君』も近い。タイムリープで取り戻した夏の中で、少年が本音を飲み込もうとする話だ。時間を差し出すこちらと、時間を与えられるあちらを並べて聴ける。『二度めの夏、二度と会えない君』オーディブル感想
今夜の気分がまだ定まらないなら、オーディブルで聴ける恋愛小説おすすめ6選 から入ってほしい。気分から逆に引ける形で並べてある。
今夜から聴くには
作品ページを開くと、いま聴き放題の対象なら「聴き放題で聴く」と表示される。その場合は追加の支払いなしでそのまま再生できる。対象は入れ替わるので、表示だけ見てほしい。『夏へのトンネル、さよならの出口』のページを開く
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今夜はトンネルを見つける場面まででいい。薫が何を差し出す覚悟をしていくか、その先を聴いてみてほしい。

コメント
コメント一覧 (1件)
[…] 夏と時間をめぐる話で続けるなら、八目迷の『夏へのトンネル、さよならの出口』へ。同じガガガ文庫の青春小説で、あちらは失ったものを取り戻すために時間を差し出す話、こちらは取り戻した時間の中で気持ちを差し出さずにおく話だ。どちらも、夏の終わりに何を持ち帰るかを問いかけてくる。『夏へのトンネル、さよならの出口』オーディブル感想 […]