『崩れる脳を抱きしめて』オーディブル感想|最後を知らない夜に

別れの瞬間に立ち会えなかった人のことを、まだ整理できずにいる夜

あの人が最後にどんな時間を過ごしていたのか、自分は知らない。連絡が途絶えたあとに知らせだけが届いて、気づいたときにはもう、確かめられる場所がなかった。日常は普通に続いていて、そのことがかえって落ち着かない。

この感覚が厄介なのは、悲しみきれないからだ。泣く理由は十分にあるのに、肝心の場面を見ていないので、気持ちの置き場が定まらない。誰かに話しても「仕方ないよ」で終わってしまう。仕方ないと分かっていることと、納得できることは、別の話だからだ。

知念実希人の『崩れる脳を抱きしめて』は、その宙づりの状態を最後まで手放さずに描く恋愛ミステリーだ。聴き終えても、失った事実が軽くなるわけではない。ただ、知らないままだったことを、知ろうとしてよかったのだと思える。確かめることの痛みと、確かめなかった場合の痛みを、同じ重さで聴かせてくれる。

再生時間は10時間55分。長く見えるが、今夜は最初の30分、二人が病院で出会う場面までで十分。そこで声が合うかどうかは分かる。通勤の往復なら一週間ほどで聴き終える。

目次

どんな話か

研修医の碓氷は、実習先の病院で、脳に病を抱える女性ユカリと出会う。心に傷を持つ二人は少しずつ距離を縮めるが、実習を終えて地元に戻った碓氷のもとに、彼女の死の知らせが届く。碓氷は彼女の足跡を追い、横浜の街をたどり始める。

声で聴くとどう変わるか

朗読は川上晃二。男性の声ひとりで、碓氷の語りも、ユカリの台詞も読み分ける。女性の台詞が多い作品だが、声色を作りすぎず、言葉の間と速さで人物を描き分けるので、聴いていて引っかからない。

碓氷は感情を表に出しすぎない人物だ。文字で読むと平坦に見える場面でも、声に出されると、抑えているものの重さが息づかいに乗って届く。逆に、ユカリが怯える場面は、声が小さくなるだけで部屋の空気が変わる。耳で聴くほうが、この二人の距離がよく分かる。

10時間55分は、就寝前に少しずつ聴くには長い。通勤の往復なら一週間ほど、家事の時間にあてるなら二週間ほど。謎を追う構成なので、区切りのたびに続きが気になり、止めどころは意外と作りやすい。

街を歩き出してから、再生を止められなくなった

聴き手として手が止まったのは、碓氷が横浜で彼女の痕跡を探し始める中盤の場面だった。確かめたいことと、確かめたくないことが、同じ歩幅で進んでいく。その緊張を、朗読の抑えた速度が保ち続けている。

恋愛小説として入った人は、途中で別のジャンルを聴いている気分になるかもしれない。結末については何も書かない。ただ、タイトルの意味が分かる瞬間は、声で聴いたほうが静かに効いた。

いま聴くなら『崩れる脳を抱きしめて』から。最初の数十分で、この作品の温度は分かる。

声で聴くと、主人公が一人で街を歩く時間の長さも、そのまま自分の時間になる。急いで結論に向かわず、歩幅を合わせて付き合うつもりで再生すると、この作品の良さが伝わる。

こんな人に向いている

  • 大切な人の最後の時間を知らないまま、気持ちの置き場がない
  • 恋愛小説にミステリーの緊張感も欲しい
  • 長めの作品を、通勤や家事の時間にじっくり聴きたい

向いていないのは、軽く聴き流せる恋愛ものを探している夜。この作品は、聴き手にも少し体力を求める。

先に謎の答えを知りたくなる人もいるだろう。それでも、途中で調べず、最後まで声に付き合ったほうがいい。この作品は、順番に知っていくこと自体が物語の一部になっている。

近い気分の一冊

失った相手の記憶を、残された側がどう抱えるかという意味では、一条岬の『君が最後に遺した歌』も近い。あちらは歌という形で相手の痕跡が残る話で、こちらは謎を追って痕跡を探しにいく話だ。形は違っても、残された人が相手の時間を引き受けようとする点は同じだ。『君が最後に遺した歌』オーディブル感想

今夜から聴くには

作品ページを開くと、いま聴き放題の対象なら「聴き放題で聴く」と表示される。その場合は追加の支払いなしでそのまま再生できる。対象は入れ替わるので、表示だけ見てほしい。『崩れる脳を抱きしめて』のページを開く

Audible を使うのが初めてなら、最初の30日間は無料で試せる(対象は執筆時点)。Audible の無料体験を見る

今夜は、二人が最初に言葉を交わすところまででいい。部屋の明かりを落として、再生ボタンを押す。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次