誰かの都合に合わせて、自分の予定を後ろにずらす。最初は一時的なつもりだった。それが何年も続くと、我慢していることにすら気づかなくなる。ふとした瞬間に、自分の人生をどこかで誰かに明け渡してしまった気がする。
厄介なのは、この状態に名前がないことだ。不幸とまでは言えない。誰か特定の人物が悪いわけでもない。だから人に話しても「大変だね」で終わるし、自分でも何を苦しいと感じているのか説明できない。説明できないものは、いつまでも片付かないまま胸に残る。
凪良ゆうの『汝、星のごとく』は、その説明のつかなさに輪郭を与えてくれる。聴き終えても状況は何ひとつ変わらない。ただ、自分が何を諦めてきたのかが言葉になる。名前がついたものは、少なくとも扱えるようになる。
全12時間8分と長い。ただ、今夜必要なのは最初の30分だけだ。瀬戸内の島の空気が変わる場面まで聴けば、続きを聴くかどうかは自分で決められる。
どんな話か
瀬戸内の島の高校で、暁海と櫂が出会う。二人はそれぞれ、自分では降ろせない親の事情を抱えている。島に残る者と島を出る者に分かれたあとも、二人の関係は形を変えながら続いていく。
声で聴くとどう変わるか
語りは柚木尚子と志村倫生の二人。暁海の章と櫂の章で声が替わるので、いまどちらの側から世界を見ているのかが耳だけで分かる。この作品は視点の切り替えが物語の骨格そのものなので、目印が声そのものになるのは大きい。紙で読むと章の頭で「どちらだったか」と確認する手間が要るが、耳ならその瞬間に分かる。
効いてくるのは、暁海が「これは自分で選んだことだ」と言い聞かせる場面だ。文字で読むより声のほうが痛い。強がりというのは声色に出てしまう。書かれていない感情が、読み手ではなく演じ手の判断として乗ってくる。ここはオーディオブックのほうが情報量が多い。
12時間8分。決して短くない。ただ、島で流れている時間の遅さがそのまま体に入ってくる長さでもある。一気に聴くより、1日30分ずつ2週間かけるほうがこの作品には合っている。通勤の片道、洗い物のあいだ、寝る前の30分。生活の隙間に置いていくと、暁海の十数年と自分の2週間が並走しはじめる。
どの場面で引き込まれたか
島を出るか残るかが決まる場面ではなかった。手が止まったのは、暁海が誰にも相談せずに何かを決めてしまう、その決め方の速さだった。迷っていない。迷う権利を最初から勘定に入れていない人の速さだ。
その速さに聞き覚えがあると気づいたとき、この物語が自分の話になった。誰かのために選んだのではなく、選ぶという行為そのものを手放していた。そこを突かれる。
もうひとつ挙げるなら、島の人たちが暁海に向ける善意の描き方だ。悪意で追い詰めてくる人物はほとんど出てこない。みんな親切で、心配していて、そのうえで彼女の逃げ道を塞いでいく。悪役がいないぶん、逃げ場所もない。この息苦しさを声で聴くと、親切な言葉ほど圧が強く聞こえる。読んでいるときには気づかなかった構造だった。
いま聴くなら『汝、星のごとく』から。最初の30分で島の空気が決まる。
こんな人に向いている
- 家族の事情で、自分の進路を一度あきらめたことがある
- 「ちゃんとした人」でいることに疲れている
- 2026年10月公開の映画を、原作を知ったうえで観たい
向いていないのは、聴き終えたあとに前向きな気持ちだけを持ち帰りたい人。この物語は救いを用意しているが、そこへ着くまでの痛みをかなり長く歩かせる。弱っている夜に始めると、その長さが効きすぎる。
近い気分の一冊
この作品が刺さったなら、平野啓一郎の『マチネの終わりに』も同じ場所に届く。あちらは選ばなかった人生を、大人になってから振り返る話だ。暁海が選ぶ前に手放したものを、蒔野と洋子は選んだあとに数えている。順番が逆なぶん、痛みの質が違う。『マチネの終わりに』オーディブル感想
自分の時間を差し出す覚悟という意味では、一条岬の『今夜、世界からこの恋が消えても』も響き合う。暁海が長い年月をかけて手放していくのに対し、あちらは最初から期限が見えている関係を描く。『今夜、世界からこの恋が消えても』オーディブル感想
家族というテーマで続けるなら、瀬尾まいこの『そして、バトンは渡された』へ。あちらは血のつながらない親たちに育てられた側の物語だ。育てる側の事情を描く『汝、星のごとく』と、育てられる側の視点を描くあちら。並べると、家族という言葉の重さが違って見える。『そして、バトンは渡された』オーディブル感想
今夜の気分がまだ定まらないなら、オーディブルで聴ける恋愛小説おすすめ6選 から入ってほしい。気分から逆に引ける形で並べてある。
今夜から聴くには
作品ページを開くと、いま聴き放題の対象なら「聴き放題で聴く」と表示される。その場合は追加の支払いなしでそのまま再生できる。対象は入れ替わるので、表示だけ見てほしい。『汝、星のごとく』のページを開く
Audible を使うのが初めてなら、最初の30日間は無料で試せる(対象は執筆時点)。Audible の無料体験を見る
今夜は部屋の明かりを落として、最初の30分だけ再生してみてほしい。島に潮の音が満ちたところで、たぶん止められなくなる。

コメント
コメント一覧 (2件)
[…] 自分の時間を差し出す覚悟という意味では、凪良ゆうの『汝、星のごとく』も近い場所にある。あちらは家族の事情で長い年月をかけて選択を後回しにする話だが、限りある時間の中で相手のために何を差し出せるかを問う点は同じだ。『汝、星のごとく』オーディブル感想 […]
[…] 家族というテーマで続けるなら、凪良ゆうの『汝、星のごとく』へ。あちらは家族と恋愛が絡み合いながら、自分の人生を誰かに明け渡してきた自覚に辿り着く話だ。育てる側と、育てられる側。視点を変えて並べると、家族という言葉の重さが違って見える。『汝、星のごとく』オーディブル感想 […]