会いたい人がいる。連絡すれば会えるのに、今週は忙しいから、来月なら落ち着くから、と先に延ばしている。延ばしても困らないと思っているから、延ばせてしまう。
厄介なのは、その「いつか」に期限があると誰も教えてくれないことだ。時間はまだあるという前提は、確かめようがない。確かめようがないから疑わずに済み、疑わないから後回しにし続ける。誰かに背中を押されても、急ぐ理由が自分の中に見つからない。
市川拓司の『こんなにも優しい、世界の終わりかた』は、その前提が突然取り上げられた世界で、「ぼく」が彼女に会いに行く物語だ。聴き終えても、自分の世界が終わるわけではない。ただ、後回しにしていた誰かの顔が、前よりはっきり浮かぶようになる。
再生時間は14時間12分。長いが、今夜必要なのは最初の30分だけでいい。「ぼく」が彼女と電話で話し、会いに行くと約束するところまで聴けば、この旅の目的が分かる。
どんな話か
ある日、世界は鉛色の厚い雲に覆われる。雲間から差す青い光を浴びた町は、人も木も水も動きを止め、少しずつ凍りついていく。「ぼく」は電話の向こうでおびえる彼女に会いに行くと約束し、500キロ離れた町を目指して進み始める。
声で聴くとどう変わるか
朗読は浅木俊之。「ぼく」の一人称で進む物語を、声を張らずに淡々と運んでいく。世界が終わりかけているのに、語りは慌てない。その落ち着きが、題名の「優しい」という言葉と重なって聴こえる。
文字で読むと、凍った町の描写は風景として目の前を通り過ぎる。声で聴くと、音を失っていく世界を、語りの声だけが進んでいく感覚になる。周りが止まっていくほど、語る声の存在が際立つ。耳で聴くことが、そのまま「ぼく」と並んで歩くことになる。
描かれるのは、恋人への想いだけではない。作品紹介にあるとおり、家族や友人への想いも物語の中に重なっている。誰に何を伝えるかという問いが、旅の途中で何度も形を変えて出てくる。
14時間12分は、通勤の往復で1時間ずつなら2週間ほど。就寝前に30分ずつなら、ひと月かけて聴くことになる。500キロの道のりを、少しずつ一緒に歩く長さだ。
最後の電話が途切れる場面で、手が止まった
聴き手として手が止まったのは、彼女との電話の場面だった。町にはもう誰もいないとおびえる彼女に、「ぼく」はそこへ行くと答える。その約束を最後に、電話はつながらなくなる。
約束の言葉は短い。けれど、つながらなくなった後にその言葉だけが残ると、短さがそのまま重さになる。「ぼく」が彼女のもとにたどり着けるのかは、ここには書かない。ただ、道の途中で何を見て、誰と出会うかに、この物語の大半がある。
いま聴くなら『こんなにも優しい、世界の終わりかた』から。電話の場面までで、この旅に付き合うかどうか決められる。
会いたい人を後回しにしている人に向いている
- 連絡しようと思ったまま、何か月も経っている相手がいる
- 恋人だけでなく、家族や友人への想いも含めた物語を聴きたい
- 長い旅の物語に、毎晩少しずつ付き合いたい
向いていないのは、現実に近い恋愛小説を求める人。なぜ世界がそうなったのか、作中の誰にも分からないところから物語は始まる。設定の理屈を先に知りたい人には、序盤が落ち着かない。
近い気分の一冊
同じ市川拓司の『いま、会いにゆきます』も、限られた時間の中で大切な人と向き合う話だった。あちらは亡くした妻のほうが、梅雨の一か月だけ家族のもとへ戻ってくる。こちらは「ぼく」のほうが、凍りゆく世界を彼女のもとへ向かう。会いに来る話と、会いに行く話として並べて聴ける。『いま、会いにゆきます』オーディブル感想
今夜から彼女のもとへ向かうには
作品ページを開いて「聴き放題で聴く」と出ていれば、追加の支払いなしでその場で再生できる。対象は入れ替わるので、開いたときの表示だけ見てほしい。『こんなにも優しい、世界の終わりかた』のページを開く
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今夜は、電話が途切れるところまででいい。後回しにしている誰かの顔をひとつ思い浮かべながら、再生してみてほしい。

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