特別な理由がなくても、ふとした拍子に、もういない誰かの顔を思い浮かべる夜がある。何かの記念日でもないのに、急に古い記憶が近くなる。
時間が経てば薄れると言われるが、実際には薄れているわけではない。扱い方が分からないまま、どこにも置き場所のない感情として積み上がっているだけだ。忘れたわけでも、引きずっているわけでもないのに、ふとした瞬間に戻ってくる。
片山恭一の『世界の中心で、愛をさけぶ』を聴くと、その感情に輪郭が与えられる。高校生の朔太郎とアキが過ごした短い時間と、大人になった朔太郎がその後生きてきた年月が、静かに重なっていく。泣ける話という言葉では片付けたくない。失ったものをどう抱えて生きていくかを、この作品は教えてくれる。
再生時間は5時間43分。通勤の行き帰りで3日あれば聴き終えられる。
どんな話か
四国の地方都市で育った朔太郎とアキは、高校で出会い惹かれ合う。二人の時間は、ある出来事をきっかけに引き裂かれる。大人になった朔太郎が、婚約者との旅の途中でその記憶を辿り直す構成になっている。
声で聴くとどう変わるか
語りは白石兼斗。朔太郎の一人称で進む物語だが、感傷に流れすぎない読み方をしている。過去を語る場面と現在の場面とで、声の温度がわずかに違う。文字で読むと同じ地の文に見える部分が、耳で聴くと時間の層として分かれて届く。
アキとの会話部分は特に軽やかに読まれる。重いテーマの作品だからこそ、日常の会話が軽く発声されることで、失われたものの大きさが後から効いてくる。
5時間43分と長くはないが、時間軸が過去と現在を行き来する構成なので、一気に聴くほうが混乱しない。通勤の行き帰りで区切るなら、できれば「行き」と「帰り」で同じ日にまとめて聴くほうが、二つの時間の重なりを感じやすい。
どの場面で引き込まれたか
手が止まったのは、朔太郎が過去の記憶を、今の生活の中でふと思い出す場面だ。特別なきっかけがあるわけではない。何気ない瞬間に、記憶のほうから追いついてくる。
この描き方に覚えがある人は多いと思う。忘れようとして忘れられるものではなく、ただ静かに一緒に生きていくしかないものがある。この小説は、そのことを声高に語らず、淡々と示す。
婚約者と過ごす現在の場面にも、目が離せない緊張がある。朔太郎は今の相手を裏切っているわけではない。それでも、過去を大切に思うことと、今を生きることが同時に成立するのかという問いが、静かに横たわっている。答えを急がず、時間をかけて置いていく構成が丁寧だと思う。
いま聴くなら『世界の中心で、愛をさけぶ』から。二人が出会う場面まで聴くと、この先の温度が分かる。
こんな人に向いている
- 今も時々思い出す誰かがいる
- 忘れることより、抱えて生きていく話が読みたい
- 有名な作品を、あらためて自分の言葉で受け止め直したい
向いていないのは、今すぐ元気になりたい人。この作品は喪失を軽くしてくれない。むしろ、その重さをそのまま渡してくる。聴き終えた直後は、しばらく誰とも話さず、静かな時間を過ごしたくなる作品でもある。
近い気分の一冊
もう会えない人を思う気持ちを扱った話なら、佐藤正午の『岩波文庫的 月の満ち欠け』へ。あちらは会えない理由に不思議な要素が絡むが、『世界の中心で、愛をさけぶ』は理由がはっきりしている分、痛みが直接的だ。理由のある喪失と、理由のない喪失を並べて聴くと、どちらも同じ場所に着地すると分かる。『岩波文庫的 月の満ち欠け』オーディブル感想
あの日に戻れたら何を言い直すかという意味では、川口俊和の『コーヒーが冷めないうちに』も近い。あちらは実際に過去へ戻る手段を持っているが、戻っても現実は変わらない。戻れないまま思い返す話と、戻れても変えられない話。どちらも、過去との向き合い方を描いている。『コーヒーが冷めないうちに』オーディブル感想
予告のない別れという意味では、市川拓司の『恋愛寫眞』も近い。あちらも日常の何気ない会話の積み重ねの果てに、思いよりも先に別れが来る話だ。『世界の中心で、愛をさけぶ』が失う理由をはっきり見せるのに対し、あちらは理由よりも「その瞬間まで気づけなかったこと」に重心がある。『恋愛寫眞』オーディブル感想
今夜の気分がまだ定まらないなら、オーディブルで聴ける恋愛小説おすすめ6選 から入ってほしい。気分から逆に引ける形で並べてある。
今夜から聴くには
作品ページを開くと、いま聴き放題の対象なら「聴き放題で聴く」と表示される。その場合は追加の支払いなしでそのまま再生できる。対象は入れ替わるので、表示だけ見てほしい。『世界の中心で、愛をさけぶ』のページを開く
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今夜は二人が出会う場面まででいい。そこから先は、自分の記憶と重ねながら聴くことになる。

コメント
コメント一覧 (1件)
[…] もう一度あの日に戻れたらという気持ちを扱った話なら、片山恭一の『世界の中心で、愛をさけぶ』も近い。あちらは戻る手段を持たず、記憶の中だけで過去と向き合う。こちらは戻る手段があるのに現実は変わらないと分かっている分、痛みの質が少し違う。戻れる話と戻れない話を並べて聴くと、後悔の扱い方の違いが見えてくる。『世界の中心で、愛をさけぶ』オーディブル感想 […]